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チャールズ&レイ・イームズ
チャールズ1907〜1978・レイ1912〜1988
アメリカ
ミッド・センチュリー・モダンの巨匠
チャールズは1907年アメリカ中西部ミズーリ州セントルイス生まれ。1925年奨学金をもらいワシントン大学に入学し建築を学ぶが3年後中退。1930年セントルイスで友人と建築事務所を設立。しかし当時アメリカは大恐慌の最中で仕事はなくこの会社は失敗に終る。
1935年セントルイスで建築事務所を設立。建築雑誌に載った作品がエリエル・サーリネンの目に留まり、1936年エリエルが校長を務めるミシガン州のクランブルック・アカデミー・オブ・アートに特別研究員として招かれた。ここでエリエルの息子エーロ・サーリネンと出会い意気投合、共同でプロジェクトを行った。 レイは1912年カリフォルニア州サクラメント生まれ。ニューヨークで画家ハンス・ホフマンから学んだ後、1940年クランブルックに入学。チャールズとエーロのプロジェクトを手伝った。この年チャールズとエーロはMoMAが主催した「オーガニッック・インテリア・デザインコンペ」に共同で参加。プライウッド(成形合板)による3次元局面を実現した椅子「オーガニックチェア」や収納、テーブルなどをエントリーし第1席を獲得した。 1941年にチャールズとレイは結婚、カリフォルニアに移り新たな活動をスタート。チャールズは映画会社MGMのスタジオで美術スタッフとして働きながら、自宅の工房でプライウッドの実験を行った。プライウッドによる医療用副木「レッグ・スプリント」をアメリカ海軍に売り込んだ。ちょうどこの頃太平洋戦争が勃発し、5000個の注文を受ける。プライフォームド・ウッド社を設立するが支払いの遅れから破産寸前となり会社をエヴァンス社に売却。エヴァンス社のプライウッド部門として活動を続けた。その後海軍からの注文で「レッグ・スプリント」は15万個生産された。戦争中は軍に協力してプライウッドの担架や航空機のシート、実験用のグライダー等を開発した。その一方、数多くの椅子を試作し、1945年にはDCMや子供用の遊具「プライウッドエレファント」などを発表した。 終戦後の1946年MoMAで「チャールズ・イームズによる新しい家具デザイン展」が開催。絶賛されるがハリー・ベルトイアらスタッフは離れていった。 ジョージ・ネルソンがディレクターを務めるハーマンミラー社がエヴァンス社から家具の製造販売権を買い取った。LCWなどイームズの家具はハーマンミラー社から販売された。 1948年MoMAが主催した「ローコスト家具デザインコンペ」に金属をプレスして成型したシェルチェア(背と座が一体型の椅子)を出品。さらにコストを抑えるため、素材をFRP(ガラス強化プラスチック)に変更。1950年ジーニス・プラスチックス社の協力を得て「プラスチック・アームチェア」、やや遅れて「プラスチック・サイドチェア」を製品化した。1951年には鋼のワイヤーを編んだ「ワイヤーメッシュ・チェア」を発表。全く異なる工業素材を使ってローコストで美しい椅子を実現した。 50年代にも、1956年「ラウンジチェア&オットマン」、1958年「アルミナム・グループ」などの名作家具を生み出した。 60年代以降はプロダクトだけでなく、映画、写真、グラフィックなど幅広く活躍した。 |
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